前回は「魂のままの自分で進んでいる地球現場担当」として生きることについてでした。
ヘリオセントリックは、この魂のままの自分で進んでいるときの、あれこれを読んでいく占星術です。
でもって魂のままの自分なんていうと、
とんでもなく大それたコトで、いまの自分なんて、とてもとても魂のままでは進んでいない
そんな勘違いをしてしまいます。
そして、そんな勘違いをしたままだと、地球の「ちゃんと」にフォーカスをしがちです。
僕たちの肉体には時間という限りがあります。地球の「ちゃんと」にあわせていると、あっという間に人生終了です。
ということで、地球の「ちゃんと」を捨てて、本来のながれで生きるためのヒントをご紹介します。
必要におうじて癒やしながら進んでいくのが、魂のままの自分です。
地球の「ちゃんと」から抜ける
僕は高校生のときに、いわゆる「ちゃんと」から外れました。
福岡市の一番すみっコの学校に中学、高校と通ったのですが、毎週のように洗脳されました。
大学にイカなきゃだめだ
と。先生たちはそんなつもりはなかったのでしょうが、僕にとっては洗脳にしか思えませんでした。
大学に行くことがどんなに素晴らしいことか、逆に大学に行かないことは、どんなにダメなことかを毎週聞かされるわけです。
そんなこんなで、洗脳された僕は、国立大学に行くことを中学のときは目指していました。
ですが、理系がダメでした。とくに数学、
数学でしょ? なぜxとyをつかうの?
この謎が理解できず授業についていけなくなりました。
当時の国立大学は5教科で受験しなきゃいけなかったので、中3で国立大学を挫折しました。
そして私立の大学を目指したのですが、慶應や早稲田は一浪しないとキビシク、ストレートで合格する可能性があるのは福岡の大学でした。
バブルもはじけたころで、地方の大学にいっても就職は大変かもと思い進路変更をしました。
料理を見るのも、つくるのも、食べるのも好きだったので料理人を目指すことにしました。
ですが、その選択は学校に受け入れられませんでした。
毎月、一回は先生から洗脳をうけました。
でも、アマノジャクな僕は、大学へ行く大事さを説かれるたびに、逆に大学に行かない気持ちが強くなりました。
先生は僕を大学にいれるまでが仕事だけど、僕の人生はそのあとも続くんです。大学にいった後の僕の人生に先生は責任をとれるんですか?
みたいなことを最後に言ったことで洗脳は終わりました。
大学にいかない選択は僕の人生を楽しいものにしました。
そんなこんなで、僕の昔話でした。
何を言いたかったかというと、僕のようなナチュラルボーン社会不適合者は「ちゃんと」しなくてもいいと自然に考えられます。
ほとんどの人が正しいと思っていることが現実です。んじゃあ、その現実は楽しい場所かといったら、僕にはそう思えません。
だから「ちゃんと」する必要はないよね? と僕は考えます。
ですが、そんなナチュラルボーン社会不適合者じゃない人はレールにのることを選びます。
そうなると地球の「ちゃんと」にハマりやすく、抜けづらいわけです。
ちゃんとした企業にはいると、さらに大変さは増します。
いわゆるちゃんとした企業の商品ってちゃんとしています。
それが当たり前で普通と思っていると、自分の存在を低く見がちです。
そんな地球の「ちゃんと」にハマっている人の魂のままの自分は、お釈迦さまやイエス・キリストのような聖人レベルになっています。
企業のつくる「ちゃんと」は多くの人と時間の結晶です。
魂のままの自分は一人でつくっていくものなので、ちゃんとしてなくていいんです。
自分の想像している10分の1くらいの魂のままの自分でOKなんです。
そんな普通の自分を、歴史的偉人のステージまで魂の歩みをマイペース進めていっている自分が、魂のままの自分だと僕は考えています。
癒やしながら魂のままの自分で進んでいく
魂のままの自分とは、お釈迦さまやイエス・キリストのような人を想像していませんか?
そうなる必要はありません。
いわゆるメンタルブロックとなっているものを癒やして進みながら、そのステージにいけばいいのです。
魂にはステージがあり、地球にうまれた魂は下から数えたほうがはやいです。
人によりますが、いまのステージから3ステップくらい上が「歴史的偉人」のステージで、そのステージにいるのが魂のままの自分です。
そこまでいけばわかるのが、地味に地道にトコトコと進んでいる安心感です。
そんな地味に地道にトコトコと進んでいれば、そのステージにいるわけです。
自分には足りないモノがある。でも、その足りないモノがあることが、自分という存在なんだ。この欠落があるからこそ、自分なんだ。
そんなありのままの自分を受け容れて。んじゃなきゃ、ほっといて。
そう思えるようになり、人とのつきあいがラクになります。
癒やしが終わったあとの魂のままの自分が、いわゆるホントの自分
癒やしはどこかで終わります。
ゴールとしては、
自分は癒やされる必要なんてなかった
という気づきです。
魂の癒やしなんていうと、永遠に終わらないモノと勘違いされがちです。
ですが、魂に癒やしなんていりません。
魂に傷をつけようとするのは、光が指しているところに、カッターをふりまわして傷つけようとすることです。
んなことに時間をつかうって
それってムダじゃね?
そう気づいてからの人生は、どんな生き方、どんな生活をしているでしょうか。
それを読んでいくのがヘリオセントリックの星読みです。
自分探しをしている人は、ヘリオセントリックの星読みをうけることで、そのヒントが見つかるはずです。
魂の癒やしの終わりを体験したい人は、&Uさんのやっている、この講座がオススメです。無料なクセに内容が濃いです。
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